離婚相談ブログ

2020.07.15更新

子のいる離婚は「連れ去り勝ち」とよく言われます。

先に子を連れて家を出てしまえば、別居の理由を問わず婚姻費用を請求できる。

婚姻費用は算定表に基づきほぼ自動的に決まるし、給料の差し押さえもできる。

婚姻費用の負担は重いので、離婚を渋る相手を兵糧攻めで離婚に追い込める。

面会交流を実施するかは、自分の気持ちで決められる。

新住所を隠そうと思えば役所だって裁判所だって協力してくれる。

そして、現に子を監護していることが重視されて、子の親権も獲得できる。

 

この一連の流れを「連れ去り勝ち」と呼ぶなら、確かに現在の離婚は「連れ去り勝ち」です。

 

個人的には、上記のような行動が「正解」になってしまうのは制度の欠陥だと考えています。

弁護士が制度の穴をつくような手段を教唆するのも良くないと思います。

しかし、「制度の欠陥だ」と言っているだけでは相談者/依頼者の方には何の役にも立ちません。

では、どのような対抗手段が考えられるでしょうか。

 

現行の制度上、子を連れて別居されてしまった後に出来ることは限られています。

経験上、最も有効な対抗手段は、単純ですが「先に介入すること」です。

配偶者が子を連れて出ていこうとしている気配があったら、先に弁護士から受任通知を送ってしまう。

受任通知中に、

「子の福祉に配慮し、くれぐれも子の現状を動かさないこと。

 万一、協議なく子を連れて出た場合には警察に通報する。」

旨を記載する。

可能であれば、ほぼ同時に離婚調停も申し立ててしまう。

要は、連れ去る側と同様の行動を先にしてしまうことです。

 

正直に言えば、弁護士の受任通知程度では法的強制力はありません。

相手が連れ去ろうと思えば、受任通知が届いていようがいまいが連れ去りは可能です。

しかし、実際には先に受任通知が届いてしまえば、連れ去りを躊躇する相手が多数派というのが実感です。

 

理由としては、連れ去る側も自身の行為が100%正しいとは思っていないので、先に釘を刺されると慎重にならざるを得ない、という心理的な側面があると思います。

また、理屈で言っても、婚姻中は父母は共同で親権を行使するのが原則です。

片方に断りなく子の居所を移すことが正当化されるのはかなり緊急性の高い場合に限られるはずです。

具体的には、離婚意思は固いが、夫婦間の権力関係等の問題で話し合いが成立しないので、先に別居するしかない。

子を主に監護しているのは自分なので、別居の際には連れていくしかない。

子を連れて別居すると言ったら反対されるに決まってるので、気付かれる前に強硬するしかない。

そういった場面に限られるはずです。

 

しかし、当事者間では話し合いは成立しなくとも、第三者である弁護士が相手であれば協議は可能なはずです。

つまり、先に弁護士に委任してしまえば、「話し合いが成立しない」という言い訳が通用しなくなるのです。

 

以上のような理由で、とにかく先に介入してしまうことで「連れ去り勝ち」に一定程度対抗することができます。

 

この手段には誰でも気づく大きな欠点があります。

連れ去られる前に気付かないと意味がない、ということです。

この対抗手段があることを知っている相手であれば、なおのこと隠密に進めるはずです。

本当に前触れなくいきなり連れ去られた場合にはこの手段は取れません。

しかし、私が見聞する範囲では、多くの場合、何らかの前触れがあります。

その前触れを見逃さず、まずは相談に来ていただきたい。

どんなに早くても相談後にしか介入できない弁護士の立場では、そう願うことしかできません。

でも、いったん先に動くことができれば、「連れ去り勝ち」に対抗することは十分可能です。

 

「連れ去り勝ち」の現状は間違っています。

いつまでもこの間違った状態が続くとも思いません。

しかし、「連れ去り勝ち」が否定できないうちは、上記のような方法をはじめ手段を尽くして対抗するしかありません。

 

2020.02.10更新

子が成人している場合、親の離婚は子とは無関係。

それが原則です。

 

しかし、養育費がからむと必ずしもそうなりません。

権利者(養育費をもらう側)にしてみれば、子が未成年のうちは養育費を受け取ることができます。

ところが、いったん子が成人してしまえば養育費の支払義務はありません。

 

子が成人してからの離婚であればなおさらです。

財産もあまりない離婚であれば、お金を一銭も受け取れない、ということにもなりかねません。

 

そこで、しばしば、離婚の場に成人の子が絡んでくることになるのです。

 

具体的には、成人の子の養育費が請求される。

婚姻費用にも子の分が乗っけられる。

成人の子が同居することを前提とした転居費用を請求される。

 

調停でも任意協議でもこういった事態はよく起こります。

当たり前ですが、成人した子は大人です。

大人である以上、同じく大人である親の離婚とは無関係であるべきで、やはりこういう事態はおかしいです。

 

私は、こういった事態を引き起こしている責任は裁判所にあると考えています。

未成年のうちは保護の対象だが、成人後は1人の大人。

それが法の原則です。

ところが、裁判所自ら、「未成熟子」なる根拠不明の概念を持ち出し、明確な原則の外枠を曖昧にしてしまっています。

そのことが、成人の子を親の離婚に巻き込む原因になってしまっているのです。

 

そのような事態の最大の被害者は、養育費を受け取れない親や、養育費を余計に払う親ではありません。

親の離婚に巻き込まれ、引っ張り合われる羽目になるお子さんです。

子の福祉が重要というなら、ルールを明確化し、親の離婚に子が巻き込まれる事態こそ最大限回避されるべきです。

 

2020.02.09更新

2022年4月1日から、成人年齢が現行の20歳から18歳に引き下げられます。

成人年齢が引き下げられたら、養育費はどうなるのでしょうか?

 

引き下げ以前に合意済みの養育費には影響しないことには特に異論はありません。

20歳までなら20歳までといったん合意した以上、後から成人年齢が引き下がっても影響は受けない、というのは筋が通っています。

 

引き上げ以後に養育費を定める場合はどうでしょうか?

現行、基本は20歳まで、場合によって22歳までが標準的ですが、この基準は変わるのでしょうか?

 

法務省の見解によれば、成人年齢の引き下げは養育費の支払いには影響しないとのことです。

理由は、成人年齢がどうあろうと、経済的に自立していない子は「未成熟子」であることは変わらないから、というものです。

 

しかし、私はこの結論には大いに異論があります。

 

民法766条1項

「父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない。」

ここで出てくる「子の監護に要する費用の分担」というのが、養育費の法的根拠です。

 

親が子を監護するのは、

「親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。」(民法820条)

とされているからです。

子の監護は、親の「親権」の一部です。

 

子が親の親権に服するのは、成年に達するまで、つまり未成年のうちです。

「成年に達しない子は、父母の親権に服する。」(民法818条1項)

とあることからも明らかです。

 

要するに、

・養育費=子の監護に要する費用

・子の監護は親権の一部

・子が親権に服するのは成年に達するまで

・2022年4月以降は18歳で成年に達する

と考えると、民法の条文から考える限り、養育費の終期は子が成年に達する18歳まで、という結論にならないでしょうか。

 

もちろん、当事者の間での合意内容は自由です。

22歳まで、大学卒業までと定めているパターンは多いです。

でも、問題は当事者間で争いがあり合意できない場合です。

その場合、裁判所が最終的に定めることになります。

その場合、裁判所はどのような根拠で「20歳まで」と定めるのでしょうか。

そこで出てくるのが「未成熟子」です。

 

しかし、「未成熟子」とは、法的には何なのでしょうか。

子がどのような状態にあれば「未成熟子」で、どうすれば成熟するのでしょうか。

法律のどこにも根拠がないので、判断しようがありません。

 

私は、18歳を過ぎたら子に対する責任がなくなる、と主張したいのではありません。

18歳を過ぎ、成人した子に関する費用の分担について、養育費という枠組みで定めることには無理がある、と言いたいのです。

 

私は、やはり養育費は成年に達するまでが原則だと考えます。

2022年4月1日以降は18歳まで、となります。

その後の費用分担については、その時点までに当事者間で協議して決めるのが原則ではないでしょうか。

当事者間で協議するのが困難な場合もあるでしょうが、法的根拠が乏しい以上、裁判所は介入すべきではないと考えます。

法律で定める「未成年」以外に、「未成熟子」なる根拠不明のくくりを持ち出すことは止めるべきです。

2019.10.17更新

海外に赴任中の離婚にはいくつか障害があります。

離婚に先立って別居することの難しさ。

弁護士へのアクセスが限られること。

裁判所へ頻繁に出廷することもできません。

中でも気を付けたいのが、「収入が高くなりがち」なことです。

 

離婚成立前の婚姻費用も、離婚後の養育費も、基本的には「婚姻破綻時の収入」で決まります。

海外赴任中は、様々な手当などにより、額面上の収入が高くなる傾向にあります。

その収入を元にして婚姻費用や養育費を決めると、どうしても金額が高くなってしまいます。

 

海外赴任がずっと続けばまだ良いですが、いずれ帰国する時が来ます。

その時、高い収入で決めた月々の支払いが重くのしかかってきます。

 

海外赴任中の収入には、家族と赴任していることによって発生する手当が含まれている場合も多いです。

その場合、離婚が成立すると、当然、家族手当もなくなるので、収入の額面は下がります。

収入は下がったのに、高額の収入を元にした支払いを続けないといけない、ということもあり得ます。

 

対策としては、収入に占める手当の具体的な金額が分かる資料を事前に集めておくのは重要です。

収入の詳細な内訳が給与明細などから判明する場合は、その旨強く主張することになります。

しかし、源泉徴収票などからは収入に占める手当などの金額が判明しない場合、裁判所は機械的に額面で判断することが多いでしょう。

重々気を付けたいポイントです。

2019.10.09更新

養育費は算定表に従う。

婚姻費用も同じく算定表に従う。

財産分与は2分の1ずつ。

 

離婚調停では、上記はほぼ不動のルールです。

例外が認められることは決して多くありません。

 

実はどれも法律に明記されているルールではありません。

算定表は裁判所の職員が作った参考のための表に過ぎません

財産分与も2分の1などとは法律のどこにも書いてありません。

 

ただ、上記ルールが定着した理由はよく分かります。

離婚で揉めるポイントを少しでも減らし、機械的に処理する。

そうすることで、当事者間で揉める余地を減らす。

そのためにはルールは明確に決まっていた方が良い。

私も、その判断は合理的だと考えています。

 

でも、同じく定着しているが、どうしても納得できないルールもあります。

面会交流の「原則月に1回」です。

 

こちらも法律に根拠はありません。

しかも、算定表のように、根拠に計算式があり、熟慮の末に作成されたものでもありません。

財産分与のように、「夫婦の共有財産=持分は2分の1ずつ」という法的な理屈もありません。

ただ、漠然と「月1回」です。

 

根拠は恐らく「何となく」です。

ただでさえ裁判所は「月1回」というワードに親しみがあります。

金銭を分割で支払う場合、原則として「毎月払い」です。

裁判期日も原則として「月1回」ペースです。

和解調書に書きやすい、裁判所に親しみのあるペースが「月1回」なのです。

恐らく、それくらい薄弱な根拠しかありません。

でも、それが養育費や財産分与と同じく定着したルールになってしまっています。

 

このルールが真に問題なのは、根拠が薄弱なことではありません。

「少なすぎる」から問題なのです。

 

親と子の交流が、月1回で良い訳がありません。

親と子の絆は、まず共に過ごす時間によって形成されます。

月1回会うだけ、というのが原則的な親子関係である訳がありません。

 

根拠が薄弱で、かつ内容にも明らかに問題がある。

そんなルールは一刻も早く変えられるべきです。

2019.10.08更新

「経済的DV」の主張に触れることも最近増えました。

はじめにお断りしておくと、「精神的DV」と比較して、「経済的DV」の主張に対してはある程度「ごもっとも」と思うことが多いです。

その金額しか家計に入れなかったら厳しいですね、という件が多いのです。

もちろん、単に家計に入れる金額が少ないことと、DVとは異なります。

でも、そう言いたい気持ちも分からないではない。

 

その一方で、ただ単に自分の理想よりも収入が少ないことをもって「経済的DV」と主張するような例もあります。

収入が少ないこと自体は夫婦共通の課題であって、どちらかが悪いわけではない。

それを「経済的DV」と呼ぶのは違います。

 

真の問題は「精神的DV]と同じです。

家計に足りないと知りながら、少額しか渡さない。

経済的な主導権を握っていることを利用して、相手を支配する。

そういう意味での「経済的DV]は確かに実在します。

 

でも、「経済的DV]という言葉が安易に使われ過ぎることによって、かえって救済の手が届きにくくなる。

そういう弊害にも目を向ける必要があると考えています。

2019.10.01更新

この記事は、「精神的DV」なんて存在しない、と主張したい訳ではありません。

最初に断っておきます。

肉体的な暴力はないかもしれない。

でも、それと同じくらい酷い、言葉や扱いによる暴力を振るわれている。

そういう件は、当然存在します。

 

でも、一方で、「精神的DV」という言葉の定義は不明確です。

裁判所も、明確な定義はしてくれません。

それもあって、「精神的DV」なる言葉があまりに軽く使われ過ぎている。

濫用されている、と言ってもよいと思っています。

 

離婚する妻の何割かは精神的DVを受けていた、というような主張をする人がいます。

でも、この主張はかなり疑わしい。

そう考える理由は、日々、精神的DVを理由とした離婚の申立書を頻繁に見るからです。

 

なぜ、離婚の理由として「精神的DV」がよく出てくるのか。

それは、裁判所の申立書式を見ていただければ分かります。

2ページ目の最後に「申立ての動機」として当てはまるものに丸をつける欄があります。

ここで挙げられている候補のうち、定義が曖昧なので何とでも言えるのは、「1.性格の不一致」か「8.精神的に虐待する」だと思います。

でも、離婚したい当事者なら性格が一致しないなんて当然です。

そこで、「8」にも丸をつける。

 

「8」に丸をつけるだけで、「精神的DV]を理由とした離婚の申立ての出来上がりです。

全部とは言いません。

でも、「精神的DV]を理由とした離婚申立ての大部分は、こんな風に簡単に作られているのだと思います。

 

なので、離婚する妻のかなりの割合は精神的DVを受けていた、という話はかなり疑わしいと言わざるを得ません。

 

以上のように気軽に「精神的DV」を主張できる状況の被害者は、「精神的DVを振るった」と主張されるもう一方の当事者だけではありません。

定義も立証も容易ではありませんが、精神的DVを振るわれている被害者の方は間違いなく存在します。

でも、有象無象の「精神的DV]の訴えのせいで、本当に被害に遭っている方が埋もれてしまう。

世間に声が届きにくくなってしまう。

そういう弊害だって当然あるはずです。

精神的DV被害者救済のためにも、安易に精神的DVを主張できるような制度・実務は改められるべきです。

 

 

 

2019.09.23更新

離婚の際には、財産分与をすることになります。

財産分与の対象は、夫婦の共有財産です。

婚姻期間中に形成された財産は、原則的に共有財産です。

どちらの名義でも、共有財産です。

 

代表的な財産は、まず不動産です。

その他、預貯金、生命保険、車、株式などがあります。

 

では、婚姻期間中に買った家電製品や家具はどうでしょうか。

婚姻期間中に形成された財産には間違いないので、理論的には共有財産です。

当然、財産分与の対象となるはずです。

 

でも、実際には、離婚調停の場で家電製品や家具について話し合うことはまずありません。

それは、家電製品や家具は事実上「無価値」だからです。

 

価値がない=0円なので、財産分与する意味はない、ということです。

 

もちろん、高価な家具や家電製品は別です。

ですが、私はまだ財産分与の対象になるような家具や家電製品に遭遇したことはありません。

 

ただ、財産分与の対象にならないからといって、実際の離婚協議で揉めない訳ではありません。

どっちが冷蔵庫を取るかで双方譲らない、という事態は珍しくありません。

裁判所も基準を示してくれないので、弁護士としても、どちらが正しい、どちらが取るべきともなかなか言えません。

そこは当事者間で結論を出していただくしかありません。

2019.09.11更新

離婚相談を受けていると、配偶者からの暴力、いわゆるDVについてもよく聞くことになります。

被害者は、男性、女性は問いません。

男性側の弁護士をうたっているので、男性被害者の話を聞くことの方が多いです。

 

DVの実態に、男女の違いはあまり感じません。

しかし、一点、男女で明らかに異なる点があります。

それは、男性のDV相談の方が「切羽詰まっている」ことです。

 

男性のDV被害の方が深刻だから、ではありません。

 

女性の場合は弁護士の所にたどり着くまでに、既に別の所で相談してきている場合が多い。

友人や、公共窓口に相談した後、最後に弁護士の所にたどり着く。

 

それに対して、男性の場合は、いきなり弁護士です。

友人はもちろん、公共窓口にもどこにも話せず、最終手段として弁護士の所に来る。

そして、はじめてDVについて口を開く。

だから、「切羽詰まっている」のです。

 

何故そうなるのか。

男性と女性の性格の違いに原因を求める意見もあります。

人に相談することに抵抗のない女性に比べ、男性は抱え込みがち、という訳です。

 

そういう傾向はあるのかもしれません。

でも、もっと明解な答えがあります。

それは、女性には広く相談窓口が開かれているのに対し、男性には窓口がない、という事実です。

 

平成13年から、いわゆるDV防止法が施行されています。

当然ですが、同法では被害者は男女は問いません。

 

ところが、同法に基づき地方自治体等が設置している窓口の名前は多くの場合「女性センター」です。

これでは、男性が相談に行きようがありません。

 

DVは「女性問題」ではありません。

もっと幅広く「家族の問題」であり、「見つかりにくい犯罪」の問題です。

ところが、広く問題解決にあたるべき行政が入口で女性に限定しているのです。

 

DV=女性が被害者、という誤ったイメージの流布に、行政が加担しているのです。

 

さらに深刻なのは、DV=女性が被害者、というイメージのせいで、男性に対するDVがエスカレートしている面があるのではないか、ということです。

多くの男女のカップルで、体力的に優位なのは男性の方です。

それはDV被害にあっている男性でも変わりません。

 

でも、男性被害者はDVを受けるままになっている場合が多い。

「一回でも反撃したら、自分がDV加害者にされてしまう。」

そう言う方は多いです。

 

杞憂ではありません。

女性の方が先に手を出したのに、たった1回反撃したばかりに、DV加害者として離婚を余儀されなくされた。

そういう実例はあります。

 

DV問題に対する行政や裁判所の対応は、問題だらけです。

問題点を挙げたらきりがありません。

中でも、男女の非対称性は、一刻も早く根本的に変革される必要があります。

 

弁護士にできることには限りがあります。

切羽詰まった相談者の方が少しでも減るためにも、まず国から変わるべきです。

 

 

2019.08.02更新

選択的夫婦別姓制度の実現を求める声は大きいです。

「共同親権」については反対の声が大きい弁護士業界ですが、「夫婦別姓」については賛成が多数という印象です。

 

私は「夫婦別姓」についてはこれまで消極的反対でした。

しかし、最近になって、積極的とまでは行きませんが、消極的賛成に転じました。

理由は、「夫婦別姓」と「共同親権」は実は根本は共通しているのではないか、と考えるようになったからです。

 

「夫婦別姓」については、保守の立場から、「家族の絆を弱める」という批判が強い、と言われています。

実は、私も大雑把に言えばその観点から反対でした。

 

都市に住む「意識の高い」人たちは別にいいんです。

夫婦別姓だろうと同姓だろうと、きちんと子に対する責任を意識し、家庭を営んでいくでしょう。

でも、世の中はそういう人たちばかりではありません。

 

「姓を同じくする家族になる」という形式が整って始めて家族に対する責任を意識する。

そういう人たちが少数派だとは、私には思えません。

そういう人たちにとって、選択的であっても夫婦別姓となれば、「夫婦なんて結婚してもしょせんは他人」という意識にお墨付きを与えることにならないでしょうか。

夫婦が他人なのは別にいいとして、問題は、姓を異にする子についても「しょせんは他人」という意識につならがらないか、という点です。

 

家族全員が姓をそろえて、初めて「自分は新しく家族を作ったんだ、だから配偶者にも子にも責任を負うんだ」と実感する。

良い悪いではなく、夫婦同姓という制度には、家族としての自覚を促す機能があります。

夫婦別姓推進派の議論には、夫婦同姓という制度が実際に持つそういった機能が失われかねないことへの視点が欠けている。

それが、夫婦別姓に消極的に反対する理由でした。

 

しかし、考えてみれば、姓を同じくして初めて子に対する責任を実感するという意識の背景にあるのは、「イエ」制度に他なりません。

家長たるもの、家の構成員には責任を持つ、というわけです。

しかし、そもそも、親と子の結びつきには「イエ」は必ずしも必要ではありません。

親たるもの子に対して責任を持つ、それで十分なはずです。

 

しかし、ここで問題になるのが「離婚後単独親権」です。

どう擁護しようが、離婚後単独親権は「イエ」制度を土台とする仕組みです。

「イエ」制度を土台とする限り、離婚後には子はどちらかの「イエ」に属することになる。

離婚の時点で、共通の「イエ」を持たない親と子の関係は切り離されてしまうのです。

 

しかし、「離婚後共同親権」ならどうでしょう。

その場合、離婚自体は親と子の関係に影響を与えません。

親と子の関係を「イエ」が媒介しないからです。

 

離婚しようがしまいが、子ができた以上、親として子に責任を持つ。

そのことが制度上明確になれば、夫婦が結婚時に「姓をそろえる」という儀式を経なくても、親としての自覚は自然に生まれるのではないでしょうか。

そうなれば、もはや夫婦同姓を強制する必然性はなくなります。

「夫婦別姓」と「共同親権」の根っこが同じというのは、そういう意味です。

 

どちらも問題は「イエ」制度であり、その具体化として戸籍制度なのです。

 

以上の次第で、私は、共同親権の実現と同時であれば、夫婦別姓も実現されるべき、という立場をとるようになりました。

 

1つだけ最後に。

夫婦別姓論者から、「選択的夫婦別姓になったって、あんたは困らないのになぜ反対するのか。」という意見をよく聞きます。

このような意見は、国という共同体の基礎となる家族という制度の重要性を理解していないのではないでしょうか。

しかも、反対論者のことを自分たちより知的に劣位であるとみなしているという点で失礼です。

もっと建設的な議論を望みます。

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