離婚相談ブログ

2022.02.01更新

家庭裁判所の調停では、離婚に関係する全てのトピックが扱えるわけではありません。

調停で扱えるトピックは、法律で決まっています。

具体的には、家事事件手続法という法律の別表第二にまとめられています。

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=423AC0000000052

 

面会交流は、「子の監護に関する処分」(別表第二第3項)です。

根拠となる法律の規定は「民法第766条2項及び3項」です。

民法第766条は「離婚後の子の監護に関する事項の定め等」に関する条文です。

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=129AC0000000089

その第1項で、離婚する際には「父又は母と子との面会及びその他の交流」について定める、とされています。

これが面会交流の法的根拠です。

 

民法第766条は「離婚後の子の監護」に関する条文ですから、面会交流も本来「離婚後」の話です。

ところが、実際に家庭裁判所で行なわれてる多くの面会交流調停は「離婚前」です。

離婚に先立ち、配偶者が子を連れて家を出た。

離婚協議はしているが、子になかなか会えない。

もっと子に会えるように求めたい。

そういった案件がとても多いです。

 

裁判所は、「離婚前でも面会交流調停はできます」と謳っています。

https://www.courts.go.jp/saiban/syurui/syurui_kazi/kazi_07_08/index.html

でも、これはおかしな話です。

上記の法律を読む限り、面会交流が離婚後の話なのは明らかだからです。

 

離婚後は単独親権ですが、離婚前はあくまで共同親権です。

面会交流とは、親権者でなくなった「父又は母」と子との面会であり交流です。

離婚前は双方とも親権者なのですから、本来、もう一方の親と子が会うことを制限する権利は誰にもありません。

離婚前はそもそも「面会交流」は成り立たないはずです。

 

離婚前は双方親権者なのですから、本来、「子を会わせたくない」と思う親が「会わせるべきでない理由」を主張・証明すべきです。

親には子に会う権利があるのですから、当然です。

本来、離婚前の親と子の交流に関する別の制度、別の手続きが整備されるべきなのです。

それをしないで、離婚後の制度のはずの面会交流調停で間に合わせる。

これは裁判所の怠慢だと思っています。

法律が整備されていないからといって、このような怠慢・ごまかしが許されている現状はおかしいです。

2021.12.17更新

離婚時には、面会交流についても定める必要があります(民法第766条1項)。

面会交流の主語は「父又は母」と「子」です。

その他の人、例えば祖父母は含みません。

 

子の親権者は父母のみであり、その他の人と子の関係は法律で決めることではない。

その建前は理解できます。

 

一方で、離婚後の子の親権者を決める際、事実上、祖父母も当事者として扱われていることは珍しくありません。

父母のどちらが親権者として適格な判断する際、考慮要素の1つに「監護補助者」があります。

離婚後、子と同居する親は1人になる。

親1人では、仕事との両立等で行き届かない面が出てくる可能性がある。

1人親を補助してくれる人は近くにいるか。どれくらい力になれるか。

監護補助者の有無や能力は、親権者を決める判断に一定以上の影響力を持っています。

そして、ここで言う監護補助者とは、事実上ほぼ祖父母のことです。

 

親権者側の祖父母の監護補助能力には期待する。

でも、非親権者側の祖父母については、まったくの無権利者として扱う。

これはフェアでしょうか? 理屈が通っているでしょうか?

 

祖父母を監護補助者として期待するのは、祖父母と孫の間には特別な関係性が存在するからです。

そうであるなら、面会交流においてもその特別な関係性に配慮すべきです。

面会交流について決める場面では、もっと祖父母はじめ親族が尊重されるべきです。

そのような方向に実務が変わっていくことを希望します。

 

2021.12.06更新

ある日、帰宅すると、配偶者と子どもの姿がない。

配偶者には連絡もつかない。

程なく、配偶者の代理人弁護士から受任通知が届く。

受任通知には、離婚の意思と、離婚成立までの間の婚姻費用を請求すると書いてある。

 

いわゆる「連れ去り」の典型例です。

弁護士のところに持ち込まれる離婚案件のうち相当数は上記のパターンです。

 

現状、「連れ去り」にあった側は圧倒的に不利です。

しかし、負けが決まった訳ではありません。

「連れ去り」にあったらまず何より優先すべきは「迅速な初動」です。

具体的には、可能な限り早期に子の監護者指定・子の引渡しを求める審判を裁判所に申し立てるべきです。

 

なぜ「可能な限り早期」か。

子の監護者を争う際、裁判所はよほどのことがない限り連れ去り自体の経緯や可否は問題にしません。

現に別居している両親を比較し、どちらが子の監護者にふさわしいか、という基準で判断します。

この比較では、連れ去られた側は圧倒的に不利です。

現に子を監護していない以上、「いかに監護者にふさわしいか」を実証するのは難しいからです。

 

注力すべきは、自分の適格性よりも、相手の不適格性です。

相手の監護の問題性です。

同居中にこのような出来事があった。

相手にはこのような問題のある特性がある。

監護を手伝ってくれる人もいないはず。

そういった事情を指摘し、子が不適切な監護のもとにある可能性を示す。

裁判所にも、問題意識を共有してもらう。

それが大事です。

 

大事なのは、裁判所に事態の重大さを認識させることです。

この人は単に配偶者との勝負でこういう主張をしているのではない、子が心配でたまらないんだ。

その切迫感を伝えることです。

そこで大事になってくるのが「可能な限り早期の申立て」です。

 

たとえば、連れ去りにあってから3か月後に申立てを行ったとします。

その場合、少なくとも3カ月間、子は相手方のもとで無事に生活してきたことになります。

申立人もその3カ月間、相手方による子の監護をそこまで問題視していなかったことになります。

ということは、監護者指定・子の引渡しを申立てたとしても、そこまで切迫していないのかもしれません。

離婚紛争を有利に進めるための戦略の一環に過ぎないのかもしれません。

 

裁判所に上記のような疑念を抱かせないために重要なのが「可能な限り早期の申立て」です。

連れ去りから申立てまでのスピード感で、裁判所に事態が切迫していることを伝えるのです。

 

もちろん、早期に申立てをしたからと言って必ず勝てるわけではありません。

しかし、まずは早期に申立てをしないと、そもそも土俵にすら立てない可能性が高い。

それくらい連れ去られた側は不利です。

不利な戦いを少しでも挽回するために、早期の申立て、その前提としての早期の相談をお勧めします。

 

2021.08.30更新

離婚・監護権について裁判所で争う際、重視される観点の1つに「継続性の原則」があります。

子は、誰に、どこで、どんな状況で監護されているか。

子の福祉のためには、子の監護状況は理由なく変更されるべきではない。

それが「継続性の原則」です。

有り体に言えば、現状維持優先ということです。

 

継続性の原則は、かつては今よりさらに重視されていたようです。

しかし、継続性の原則には重大な欠陥があります。

例えば、一方の親が無断で子を連れて別居した場合。

残された親が親権・監護権を争っても、その時点での「現状」では、子を監護しているのはもう一方の親です。

継続性の原則により、連れて出た方が勝ち、置いて行かれた方が負けてしまうのです。

これでは、裁判所が「連れ去り」を推奨しているようなものです。

 

そこで、「継続性の原則」は見直されることになりました。

具体的には、現在の監護状況がどのように確立されたかによって、継続性をどこまで重視するかを分けるようになりました。

別居に至る過程に問題がなければ、継続性が重視されるのは変わりません。

一方で、別居過程が違法なものだった場合には、継続性を重視しない。

そう場合分けすることで、不当な結果を回避するという考え方になりました。

 

正直なところ、以上の考え方がきちんと裁判所で実践されているとは言えません。

一方の親に無断で連れ去っても、よほどのことがない限り違法とは評価されません。

裁判所による連れ去りの推奨は続いてしまっています。

 

しかし、少なくとも「継続性の原則」には欠陥がある、ということは意識されるようになりました。

それは1つの前進だと思います。

2021.08.26更新

「我が国においては、日本国憲法に個人の尊重と法の下の平等がうたわれ、人権の擁護と男女平等の実現に向けた取組が行われている。

ところが、配偶者からの暴力は、犯罪となる行為をも含む重大な人権侵害であるにもかかわらず、被害者の救済が必ずしも十分に行われてこなかった。また、配偶者からの暴力の被害者は、多くの場合女性であり、経済的自立が困難である女性に対して配偶者が暴力を加えることは、個人の尊厳を害し、男女平等の実現の妨げとなっている。

このような状況を改善し、人権の擁護と男女平等の実現を図るためには、配偶者からの暴力を防止し、被害者を保護するための施策を講ずることが必要である。このことは、女性に対する暴力を根絶しようと努めている国際社会における取組にも沿うものである。

ここに、配偶者からの暴力に係る通報、相談、保護、自立支援等の体制を整備することにより、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護を図るため、この法律を制定する。」

 

配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律、通称「DV防止法」の前文です。

この文章を読んで、どう思いますか。

 

私は、

「配偶者からの暴力の被害者は、多くの場合女性であり…」

という文言が入っていることに強い違和感を覚えます。

その基礎となる事実認識に同意できない、ということではありません。

男女の体力差や経済力格差を考えても、各種統計を見ても、配偶者からの暴力の被害者は女性の割合が多いであろう。

そのことには異論はありません。

 

しかし、そのことをわざわざ前文で謳う意図は何でしょうか。

 

「この法律において「被害者」とは、配偶者からの暴力を受けた者をいう。」(第1条2号)

ここには、被害者に男女の区別はありません。

男であろうと女であろうと対等な個人ですから、当たり前です。

しかし、前文と組み合わせると、そこに

「被害者は女性に限る」

というニュアンスが生じてしまっていないでしょうか。

 

配偶者からの暴力の被害者には、男性もいれば女性もいます。

個別の被害者にとって、統計上、男女どちらの被害者が多かろうと関係ありません。

被害者は被害者であり、等しく救済されるべきです。

 

ところが、肝心の法律の前文で、上記のようなことを言っている。

女性の被害者を優先して救済すべきである。

その裏返しは、男性の被害者は優先順位が低い、ということです。

そのようなことを前文でわざわざ謳う意味は何でしょうか。

この前文は、今すぐ削除されるべきです。

 

現に、DV防止法に基づく保護命令事件では、被害者が女性か男性かで扱いは大きく異なります。

そんなことはないと裁判所は言うかもしれません。

しかし、私を含め多くの弁護士や当事者がそう実感しています。

 

その扱いの違いを生んでいるのは、この前文ではないでしょうか。

我が国の法律の中に、このような性差別的としか言いようがない文章が含まれていることを、日本人として本当に残念に思います。

 

さらに付け加えると、配偶者間の暴力は、男女カップル間のみで発生するものではありません。

男性同士のカップル間でも当然発生します。

この前文は、男性同士のカップル間の暴力はについては無視します、と言っているに等しいです。

この文章は百害あって一利なしです。

 

 

2021.02.28更新

現在の日本は離婚後単独親権制です。

「離婚後」とあるのは、婚姻中は共同親権だからです(民法818条3項)。

では、なぜ離婚を機に単独親権になるのでしょう。

離婚後単独親権制の最大の論理的な問題点はこの点だと私は思っています。

 

離婚後親権制度を擁護する様々な意見があります。

「共同親権では、子に関する重要事項について意思決定できない恐れがある」

「離婚の理由がDVの場合、共同親権では避難が困難になる」

「単独親権でも、共同で監護にあたることを禁止しているのではないのだから、共同監護は可能」

「子に関わることは権利ではなく義務。子が親に会いたいなら会えば良いが、強制的に面会することになるのは好ましくない」

など。

しかし、これらの意見が仮に真だとするなら、なぜ婚姻中は共同親権なのでしょうか。

 

子に関する重要事項について争いが絶えない不仲な夫婦などいくらでもいます。

ある調査によれば、婚姻中の夫婦が離婚を考える理由第1位は「子の教育方針の違い」です。

教育方針で揉めるくらいなら、はじめからどちらかの単独親権としておけばよいのではないでしょうか。

 

DVの多くは父母が婚姻中の家庭で発生します。

DV被害者皆が離婚という形で避難できる訳ではありません。

単独親権にDV被害を軽減する効用があるなら、婚姻中から単独親権の方が良いはずです。

 

関係性が良好であれば共同監護が可能ならば、婚姻中も単独親権でも問題ないはずです。

 

親と子が関わるかどうかは子の意向によって決めて良いのであれば、同居中の親が親権者でなくても問題ないはずです。

 

そもそも、下手に婚姻中に共同親権にしておいて、離婚時に単独親権に変わる制度にしているから、親権争いが発生するのです。

離婚時に無用な争いを生まないためにも、婚姻中から単独親権とすべきではないでしょうか。

要は、離婚後単独親権を擁護すればするほど、では何故婚姻中は共同親権なのか、という疑問に突き当たってしまうのです。

 

奇をてらった思考実験のつもりはありません。

ほんの数10年前まで、世界の多くの国も今日の日本と同じく離婚後単独親権制でした。

それは恐らく、婚姻中も実態として単独親権だったから、ではないでしょうか。

家族の成員全員が家長の支配に服する制度の下では、子に対する支配権=親権は最終的には家長に属します。

離婚後に単独親権となるのは、正しく家長制の論理的帰結なのです。

しかし、家長が家を支配するモデルは、言うまでもなく個人の平等・両性の平等の原則に反します。

父母が対等の個人となれば、親権者がどちらか片方に帰属する理由はなくなります。

父母が対等となった以上、婚姻中の単独親権と同じく、離婚後単独親権も維持できないのです。

 

国によって制度の違いはあれど、多くの国が単独親権から共同親権に移行していったのは、上記のような理由ではないでしょうか。

 

結局、離婚後単独親権という制度は、個人の自由と平等が重視される世界に移行していく過程における、移行期の中途半端な制度に過ぎない。

数10年の歴史はありますが、中途半端な制度であることは変わらない。

移行期の中途半端な制度を、デフォルトのものだと考えてしまうことが間違いの始まりなのではないでしょうか。

 

2021.02.03更新

親権・監護権が争いになっている件では、「子の福祉」という言葉がよく出てきます。

面会交流は、子の福祉に配慮して実施する。

どちらが監護するのが子の福祉に適うかで、監護者指定を判断する。

でも、そもそも「子の福祉」とは何でしょう。

どのような内容を含む語なのでしょう。

 

私自身、「子の福祉」という言葉を使うことはよくあります。

裁判所が判断基準を「子の福祉」に置くことに異論はありません。

しかし、「子の福祉」という言葉の中身が何なのか、十分に詰められているとは思えないのです。

 

「子の福祉」という言葉の意味は曖昧です。

曖昧であるのをいいことに、濫用される場面も目立ちます。

 

「子が会いたくない」と言っているのに面会交流を実施するのは、子の福祉に反する。

果たしてそうでしょうか?

親子が同居している場合、子が親のことを嫌いだと言った程度で、親は子との交流から身を引くべきでしょうか?

同居と別居で何が違うのでしょう。

親と子が交流すること自体が、子の発達に資するのではないでしょうか。

 

別居している親同士の監護環境を比べ、どちらがより子の福祉に適うかを判断する。

しかし、親の都合で監護環境を変更しておいて、子の福祉をうんぬんすること自体、おかしくないでしょうか。

 

裁判所が最終的な判断基準として「子の福祉」を持ち出すのは理解できます。

しかし、現状は、当事者間で紛争の道具として「子の福祉」という言葉が持ち出される場面が目につきます。

「子の福祉」という聞こえの良い言葉を、相手方の親としての権利を制限するために使用している。

そう評価せざるを得ない行動が目立ちます。

 

真の問題は、「子の福祉」という語の濫用を裁判所も結局追認していることです。

裁判所がまずすべきは、子の福祉という言葉の厳密な定義だと思います。

現状は、相手方を非難するためのマジックワードに過ぎません。

 

 

2021.01.12更新

「子が会いたがっていない」

「子が嫌がっている」

面会交流の代理人業務をしていると、このようなセリフをよく聞くことになります。

貴方は子に会いたいかもしれないが、子は会いたがっていない。

離婚で何より大事なのは、子の福祉のはずだ。

子の福祉よりも、自分の気持ちを優先するのか。

そういう理屈で、面会交流の頻度が減ってしまったり、場合によってはまったく会えなくなったりします。

そして、現行の制度では

「子が『会いたくない」と言っている」

と言われてしまったら、それ以上強制する方法は事実上ありません。

 

確かに、子に負担をかけてまで面会交流を強引に実施するのはおかしい。

しかし、本当に冒頭のようなセリフを面会交流を実施しない理由にしてよいのでしょうか。

私は、それはおかしいと考えています。

 

なぜなら、面会交流は

「子が会いたがっているから」

という理由で実施するものではないからです。

もちろん、

「親が会いたがっているから」

でもありません。

会いたい/会いたくないに関わらず、親と子が関わることそれ自体が、子の人間的成長や発達に資する。

だから、実施するのです。

そういう意味で、「面会交流」という言葉はやはりもっとふさわしい言葉に置き換えられるべきです。

 

親と関わること自体が、子にとって有益である。

両親が揃っている家庭であれば、そのことを疑う意見は少ないはずです。

子が親のことを少々嫌がっていようと、子に関わろうとする親のことを悪く言う人は少ないと思います。

なのに、離婚もしくは別居した途端、片方の親との関わり自体が無益なものとして切り捨てられる。

それは明らかにおかしいです。

 

いや、親と子が関わることそれ自体には有益な価値はない。

そういう意見もあるかもしれません。

そのような貧しく寂しい人間観で、親子の問題に関わってほしくないと切に思います。

 

2020.08.21更新

家事調停は「交互方式」が原則です。

交互方式とは、当事者双方が交互に調停委員と話す進め方です。

 

調停当日、当事者双方はそれぞれ「申立人待合室」「相手方待合室」に入ります。

時間になると、調停委員がどちらかの待合室まで呼びに来ます。

呼ばれた方は調停室に入り、調停委員と30分ほど話します。

その間、もう一方は待合室で待っています。

次に相手方が呼ばれ、やはり30分ほど調停委員と話します。

そのターンを2回ずつ繰り返し、計2時間ほどで一回の調停は終わります。

その間、当事者同士は顔は合わせません。

これが「交互方式」です。

 

この方式を取る根拠は何でしょうか。

実は、家事手続法その他法律には何の規定もありません。

あくまで慣習として「交互方式」を取っているだけなのです。

しかし、この方式でなければいけない理由はあるのでしょうか。

 

そもそも、調停は話し合いです。

離婚等の家庭内のもめ事は必ずしも訴訟になじまないから、わざわざ離婚について「調停前置主義」が取られているのです。

しかし、調停委員に交互に事情を話して、相手の主張は伝言でしか聞けないやり方が果たして「話し合い」の本来の姿でしょうか。

話し合いなのだから、やはり当事者双方が同席して話し合うべきではないでしょうか。

 

実は、「交互方式」は決して一般的な方法ではありません。

アメリカなど諸外国では、当事者同士同席して話し合うのが通常です。

話し合いなのですから、当たり前です。

 

確かに、ただでさえ揉めているのだから、当事者同士顔を合わせたくない、という心情は理解できます。

感情的になってしまうかもしれません。

相手が怖くて思ったことが言えないかもしれません。

 

しかし、こと東京家庭裁判所では、相当割合の当事者は代理人弁護士をつけています。

代理人も同席しており、必要であれば全て代理人から話しても良いのに、なお同席では駄目な理由はあるでしょうか。

 

交互方式には欠点も多いです。

調停委員からの伝言でしか相手の主張を聞けないので、どうしても疑心暗鬼になる。

調停委員の伝言ミスの恐れもある。

顔を合わせないので、つい主張がエスカレートする。

当事者の言い分が本当なら、相手はほぼ狂人としか思えないようなこともあります。

私だけでなく、他ならぬ裁判官や調停委員がそう言っているのです。

 

調停の本来の姿は同席方式ではないか。

私はそう考えています。

 

同席方式が実現しない大きな理由は、当事者の抵抗もあります。

しかし、それ以上に裁判官を含む調停委員の自信の無さがある気がします。

葛藤を抱えた当事者を同席させ、話し合いを仕切るのは専門的な力量が必要です。

現状の調停委員はそのような訓練は受けていません。

 

しかし、一般の民事事件では、裁判官は当然のように紛争当事者を仕切って話し合いを進めています。

労働審判では、当事者同席の上、3回以内でほぼ全ての事件で和解をまとめています。

家事事件に限ってできないわけがありません。

 

定着した慣習を変えるのは難しいかもしれませんが、調停は同席方式が基本とされるべきです。

 

 

2020.07.17更新

緊急事態宣言を受け、裁判所は4月8日から1か月の期日を取り消し、その期間はさらに5月いっぱいまで延びました。

その当初対応自体はやむを得なかったと一応理解はできます。

コロナ禍がどれほどのもので、どのような対応が必要なのか、当時は誰も知らなかったからです。

 

問題は、6月以降、緊急事態宣言明けです。

まさか裁判所がまったくの無為無策で期日を取り消しただけで、その後のことを考えてもいなかったとは夢にも思いませんでした。

6月頭からいったん取り消しになった期日を順次入れ直していくので、期日の再開は早い件で6月下旬からでした。

2か月分溜まった期日をよろよろと再指定するので、5月後半に予定されていた期日など、普通に9月以降です。

期日の再指定が終わったら、ようやく新件の番です。

調停を申し立ててから1か月以上放置なんてザラです。

せっかく申し立てても、一体いつ決着がつくかどころか、いつ調停が始まるかも読めない。

すべては裁判所の事務作業次第なのです。

 

当たり前ですが、当事者の方はもう裁判所で決着をつけるしかない、この状態はこれ以上耐えられないと思うから、弁護士に依頼し、調停等を申し立てるのです。

裁判所の都合で数か月待つなんてことはできません。

そもそも裁判を受けるのは憲法に規定された国民の権利です。

 

平時から裁判所の事務作業は遅れがちでした。

調停が月1回という頻度自体が遅いのに、東京家裁ではそのペースすら守れなくなっていました。

期日の間が1月半、場合によっては2か月程度空くのが常態化していました。

そこにコロナに対するあまりに稚拙な対応です。

 

真の問題は、そうして悠長に待たされる間に、当事者の抱える問題はどんどん悪化していく、ということです。

離婚までの期間が延びることで、婚姻費用の負担が増える。

面会交流が実施されず、その間も相手は子の監護実績を積み上げていく。

そのような状態で、当事者のストレスが溜まらない訳がありません。

 

裁判所が社会にとってどのような役割を担っているのか。

今回の対応は、裁判所の中の人間にその自覚が決定的に欠けている表れだと思えてなりません。

前へ 前へ

男性側に立った離婚問題の解決を

一時の迷いや尻込みで後悔しないためにも、なるべく早い段階でご相談ください。

  • 受付時間 7:00~20:00 03-6709-8342
    contact_tel.png
  • 24時間受け付けております メールでのお問い合せ
  • 離婚相談ブログ BLOG
  • オフィシャルサイト OFFICIAL
  • 03-6709-8342
  • メールお問い合わせ